山形と福島を往復する避難者支援バス「うぇるかむ号」を運行する山形ボランティア隊代表の本田光太郎さんと直通バスの必要性を広く福島県に要望した山形避難者母の会代表の中村美紀さんにお話をうかがいました。
中村 私たちが福島県に要望したことの中に、雪道の事故を回避するための被災者のためのバスを出してほしいということがありました。雪道のスリップ事故とかで亡くなるお父さんが一人でもあってはならないという思いからの要望だったんです。「あったら便利」ではなく、そういう強い思いとしてあって。
私たちがなぜ山形を選んだかというと、福島に近い場所にいたいという想いが強いんです。少しでも夫や、両親や、福島にいる大切な人たちのそばにいたいから、ここ、お隣の山形なんです。何かあったら帰れる、通うことを前提にして、帰ることを前提にして避難している。それをくみ取って下さったのが本田さんのうぇるかむ号で。
本田 私の最初の想定は、やっぱりパパだったんですね。パパを雪道から守るため、通えるようにするため。これをやるべきだなと確信したのが、十二月に一度試験運行した時に、一人のお父さんが、平日の夜も一歳の子どもの顔を見るために、夜十一時ころ山形に来て、翌朝五時に帰るんだという話を聞いたんですね。それなら、週末だけでも安心して、何も考えずにゆっくり移動してもらいたい。そのためには、バスが必要だなと。お母さんと子どもたちも帰りたいけれど時間帯が合わないとか、おじいちゃんやおばあちゃんも使いたいけれど周知が不十分で使い方がわからなかったという声がいっぱいあって。一月からはそれも想定しました。
中村 周りのお母さんから、有料でもいいから続けてほしいという声を何回も聞きました。危機感を持って避難してきたわけですし、なかなか理解してもらえないかもしれませんが、お母さんたちは帰りたいんですよ。本当は毎週にでも帰りたいし、むこうの、パパと一緒に住んでたあの福島の家でご飯を作って、家族で囲みたいんだと思う。
中村 食費を削ってでも、バス代にしたいと思う。家族で過ごす時間がどれだけ幸せか…。会えない時間で、主人が痩せていくんですよ。それに離れて暮らしていると、電話で話すだけじゃだめで、直接顔を見て話さないとわからないところがたくさんあって。確かに私たちは自己責任のもとにしています。やっぱり原発事故さえなかったら、離れて暮らすという選択肢は、私の人生の中にはなかったんです。
本田 そうなんですよね。子どものためにとにかく来たけれども、旦那さんのことも本当に心配で、自己責任とは言いつつも、それを切り捨てたわけではなくて。
中村 本田さんに、自己資金でやっていただいて、資金繰りに困っているという話を聞いた時、ものすごく申し訳ない気持ちでいっぱいになったんです。
本田 ちなみに私、自己資金は一円も払っていないです。いろんな人からの支援を受けて運行することができたので、大変でしたけども良かったなと思っています。
中村 バスに企業広告を入れるのはいやだと聞いたのですが、それはもう絶対はずせない?
本田 いえ、そんなことはないです。企業から寄付をいただいたら、お礼の意味で広告を表示するのはあり得ますね。
中村 本田さんのバスは、いろんなものを繋いでくれた。今後、どういうふうにしていきたいと思っていますか。
本田 まず、なんで山形にこうやって避難者が来られているかということ、移動の大切さというのを、福島の行政に理解してもらう。これが本当に私の第一の目標ですね。それから継続的にこのバスを運行する仕組みを構築する。今はまだ寄付金が必要な段階にいるので、これをできるだけ充実できるようにするのが二つ目の目標です。
中村 すごいですね。こういう方がいてくれるから、福島大丈夫かなと自信が湧いてくるというか。
本田 私は本当に全体の一つしかやってなくて。でもこれを起点にひろげていきたいという課題解決の軸が、私の中ではひとつできているなと思います。
山形避難者母の会さんからお礼のメッセージと寄付が送られました