フリーペーパー うぇるかむ

「うぇるかむ」は、東日本大震災により、山形県へ多数の方が避難されたことをきっかけに、2011年8月に創刊されました。詳しくはこちらをご覧ください
東日本大震災1周年追悼復興祈願式での山田悦子さんの式辞
山形市で開催された東日本大震災1周年追悼復興祈願式での
山田悦子さんの式辞(抜粋)
 原発の異常を知らせる報道があり、原発が爆発するという信じられない映像がとび込んできました。水や食品からも放射性物質が検出され、空間線量は、1時間あたり20マイクロシーベルトを超える今思えば恐ろしい値が測定されました。情報は錯そうし、政府からは『ただちに健康に影響はありません』という、なんとも曖昧な表現の声明。当時は、「外から帰ったらうがいをして、全身をシャワーで洗い流せば大丈夫」という報道がされましたが、水道やガスが止まっている状況下で何の対処もできませんでした。
 このまま福島にいても良いのか?子どもたちの健康は、そして未来は…?毎日毎日、自問自答しながら、悶々とした日々を送りました。
 放射線は、目には見えません。震災前と変わらない景色の中で、何を信じ、どのように生活していけば良いのか…。その行動の一つ一つ、すべてにおいて、本当に悩み苦しみました。
 そして、幾つかの決断を経て、山形での避難生活にたどり着きました。
 主人が福島に残っての二重生活。山形へ来た当初は、土地勘もなく、知り合いも少なく、寂しく、不安な思いもしました。日常では通り過ぎてしまうような、スーパーでのイベントを知らせる声掛けにさえ、とても心が救われたこともありました。
 山形での生活で、何よりもありがたいと感じているのは、子ども達を外で遊ばせられるということです。この当たり前のことでさえ、福島では当たり前ではなくなっているのです。
 福島県内でも地域によって状況は異なりますが、私の住んでいた地域では、除染などの対策を講じてはいるものの、いまなお比較的高い放射線量が日常生活のあちこちで計測されており、現状では子供たちを安心、安全に生活させられるまでには至っていないと感じています。
 そのため、この先もある程度の期間は避難生活を続けていかざるを得ないと思っています。どうぞ、今後とも私達を、温かく見守っていただきたく、お願い申し上げます。
 大震災・原発事故という体験は、私達自身に”ふるさと”を見つめ直す大切なきっかけを与えてくれました。そして、あらためて”ふるさと”福島が大好きになりました。
唱歌”ふるさと”の歌詞に、
「こころざしを果たして いつの日にか、かえらん
山はあおきふるさと 水は清き、ふるさと」
という一節があります。この言葉は、今の私達の気持ちを代弁しているように思います。
 間もなく桜の季節を迎えます。昨年は、ゆっくりと花見をする気持ちになれないまま、季節が過ぎ去ってしまいました。今年こそは、この山形の地で、多くの方たちとお花見を楽しみたいと思っています。
 そして、いつの日にか、子ども達とともに故郷の桜を何の心配もなく、笑顔で眺められる日が来ることを願っています。