フリーペーパー うぇるかむ

「うぇるかむ」は、東日本大震災により、山形県へ多数の方が避難されたことをきっかけに、2011年8月に創刊されました。詳しくはこちらをご覧ください
スペシャルインタビュー 富岡町 鈴木マサ子さん
Q 震災時の様子を教えてください

東日本大震災が起きた平成23年3月11日は、64回目の誕生日でした。福島県楢葉町にある保養施設で海を眺めながら温泉に入り、その後食事処に行こうと玄関を出た時、おかしいと思い前方を見ると駐車場の車が右へ左へと波打っている状態でした。まさか地震とは思わずめまいかな~と思いました。

Q 震災後の様子を教えてください

幸いにも家族は全員無事でしたが、福島第一原発の心配もあり、5か所の避難所を移動しながら3月28日夜に、寒河江市民体育館合宿所に避難をしました。避難生活では色々な辛い体験もしましたが、どのような問題が起きようと体当たりで行動すれば、どうにか道は開ける事も知りました。避難中は借り上げ住宅で暮らし、その後山辺町に自宅を購入しました。庭の手入れなども楽しみながら交流会にも参加し、新たな友人も増えました。山形での避難生活を満喫していましたが、冬季間の除雪作業が大変で、平成29年12月に6年間お世話になった山形を離れ地元富岡町に帰還しました。

Q 帰還後はどのように過ごしていますか?

富岡町に戻ってから、震災前に自宅があった場所は帰宅困難区域の為住むことが禁止されているので、解除地区に自宅を購入しましたが、今の状況で何をしたら良いのか、地元の動きがまるでわかりませんでした。相談する窓口も検討がつかず結局、工事・リフォーム・除染等自費でやってしまい多大な出費でした。

▽点描画

荷物の片づけも終わり一段落すると、なかなかリビングに光が入ってこないことに気が付きました。よく周りを見てみると、道路を挟んだ向かい側にある大木の林が邪魔をして、部屋はもちろん庭にさえ光が届きませんでした。早速所有者に確認を取り、環境省や役場に大木の伐採を依頼しましたが断られ、1年あまり困っていました。
そんな時に思い出したのが、山形県に避難していた時に支援者の方から「このチラシはいつか必ず役に立つから」と渡され、バインダーに挟んでおいた“双葉郡から避難されている皆様へ”という相双ボランティアの案内チラシでした。よく見ると、主な活動内容の最後に「樹木伐採」の項目があったのですぐに電話したところ、幸いにも担当者が同じ地元出身者で、この状況も詳しく知っていた方だったので、すぐに対応してもらうことが出来ました。伐採した翌日は眩しい陽差しが入り込み、天の岩戸が開けた思いで午前中何回も庭に出て太陽の光を浴びて過ごしました。

現在は、町社協などの教室やイベントは、コロナウィルスの為に全て中止で、自宅でストレッチをしたり、ナンプレや倉本聰氏の点描画の体験教室で習った技法で大人のぬり絵に挑戦したりと一人遊びをしながら暮らしております。

△ポーセラーツ
避難者へのメッセージ

母一人子一人で長男と助け合って生きてきたので、「人の恥になる様なことだけはしない、すべて自分で責任ある行動をとるように、又母が居ることを忘れないで」と念を押し、やりたい事はどんな事でもOKしました。私もこれまで通り自分で考え、人にまかせず人生、生活、環境を決めて、乗り切って行きます。皆さんも自分で決めたことに向かって突き進んでください。