フリーペーパー うぇるかむ

「うぇるかむ」は、東日本大震災により、山形県へ多数の方が避難されたことをきっかけに、2011年8月に創刊されました。詳しくはこちらをご覧ください
福島市 青山孝子さん
福島市
元高畠町社会福祉協議会生活支援相談員
元高畠ふれあいケアセンターわくわくデイサービス
青山孝子さん

Q 震災時の様子を教えてください

福島市で仕事をしている時に地震に遭い、すぐに子ども達を迎えに行きました。余震も続き、雪も降っている中、当時年長と小学校2年生の子ども達はとても怖がっていました。
戻った自宅は、水道管が破裂し周囲は水浸しになっていました。2世帯住宅の2階にある自室は物が落ち、家具も倒れていて部屋中に散乱していましたが、飼い始めたばかりの愛犬の無事を確認し安堵しました。その日から、電気が復旧するまでロウソクを灯して生活をしました。その混乱の中、焼き芋屋さんが販売にきました。夕食もままならなかったあの日の夜に食べた温かい焼き芋の味と、自分も被災しているのに、地域の人に食べてもらおうと来てくれた焼き芋屋さんの温かい気持ちがとても嬉しく、今でも強く記憶に残っています。

Q 高畠町に避難したきっかけを教えてください

震災直後は、あまり危機感を感じることもなく日々過ごしていましたが、時間が経つにつれて、情報が入るたびに徐々に不安になっていきました。迷いもありましたが、2011年の5月から自分で避難先を探し始めました。
そして、子ども達が夏休みに入った、2011年8月に子ども2人と共に、縁もゆかりもない高畠町に避難をしました。避難直後は不安もありましたが、同じ小学校に5名ほど福島から避難してきた子ども達がいました。高畠町の方々も皆さん気軽に話かけてくださり、親子共々すぐに馴染むことができました。本当に高畠町に避難してよかったと心から思います。

Q 高畠町ではどのように過ごしていましたか?

避難後まもなく、避難者親子の交流会「ハッピースマイル」に参加するようになりました。当時「ハッピースマイル」は、多い時には35 組ほどの親子が参加していました。その後、縁があり高畠町社会福祉協議会の生活支援相談員になり、1年間ほどハッピースマイルの代表もしていましたが、その後は参加者として活動を見守りました。
下の子は、小学3年生から高畠町のスポーツ少年団に入り、ずっとやりたかった野球を始めました。子どもを通し、さらに高畠町の地元の人たちとの交流も深まり、毎日が楽しくなりました。家族3人で湊太鼓も始め、高畠町の「青竹ちょうちんまつり」ではトラックの荷台で太鼓をたたきました。そんな充実した避難生活でしたが、上の子が中学校に入学するのを機に福島市の自宅に戻りました。その後も 高畠町の相談員業務に就きながら、福島の自宅から職場まで片道52㎞の道のりを毎日通いました。その間にヘルパーの資格を取得し、2017年9月に「高畠ふれあいセンターわくわくデイサービス」に勤務しました。8年間お世話になった高畠町社会福祉協議会を2020年3月に退職し、慣れ親しんだ高畠町を離れ、4月からは引き続き伊達郡のデイサービスに勤務しています。

避難者へのメッセージ

震災がなければ高畠町に来ることはありませんでしたが、高畠町での生活は自分の財産になりました。みなさんに温かく迎えていただき、知らない土地にきても「1人じゃない!」と頑張る事ができました。みなさんも決して1人ではありません。周りの影響を受けずに、自分が決めた事に、迷わず自信をもって突き進んでほしいと思います。正解は自分が決めた事です。

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