フリーペーパー うぇるかむ

「うぇるかむ」は、東日本大震災により、山形県へ多数の方が避難されたことをきっかけに、2011年8月に創刊されました。詳しくはこちらをご覧ください
あれから8年 東日本大震災を語る(第4回)
「心ひとつに 避難者支援に携わった8年間」

避難者支援センターおいで
事務長 上 野  寛

 震災前は南相馬市小高区で生花店を営んでいました。震災時は葬祭会館で通夜に出す生花の準備をしていました。最初に大きな揺れを感じ、約30分後に会館に津波が押し寄せ、見る見るうちに海水が入り込み、腰の高さまでになりました。窓にしがみつき難を逃れ、夕方6時くらいに会館を脱出することができました。その後、自宅へ戻り家族全員の無事を確認し、高台に避難をしました。翌日、津波の被害を恐れ、飯館町や川俣町など内陸部へ避難をしましたが、原発事故のことを知り、数日後に家族・親族10人で米沢市へ向かいました。米沢市では知人よりアパートを紹介してもらい、避難生活が始まりました。

その後、万世地区の雇用促進住宅に移り住み、仕事探しをしました。縁があり米沢市に採用され、2011年6月「避難者支援センターおいで」の開設に携わりました。万世地区には多くの避難者が居住されていたため、避難者支援の拠点として万世コミセン内に設置されました。「おいで」では私を含め当時3人の避難者が勤務していましたが、前例やマニュアルもなく、避難者のために何ができるか手探りで進めてきました。開所当時は、二次避難所だった温泉・ホテル・雇用促進住宅などを個別訪問し実態把握を急ぎ、避難者登録などの手続きを通して避難者への情報提供に努めました。初めて暮らす土地で、特に最初の冬は、雪国での暮らしや除雪に関する課題などもありました。切実な相談など、解決できなかったこともありますが、職員が心を一つにし、一つ一つに最善を尽くしてきました。


▲開設当時のセンター

2012年より場所を置賜総合文化センターに移動し、現在は職員5名で運営しています。避難先で暮らすための情報提供やサポートを行ってきましたが、2017年には住宅支援が終了し、住み替えや住まいの契約に関する相談が相次ぎました。避難者にとっては生活費の出費や今後の不安を抱え、辛い時期だったと思います。一方で、避難された方からは、米沢に避難して良かった、みんなに親切にして頂いてありがたいという声をよく聞いています。米沢を含め山形県からは、震災の混乱期に温かく迎い入れて頂いたと感謝しています。また、「おいで」では、様々なイベントにも連携しており、ボランティア山形主催の毎週1回のお茶会「きっさ万世」をはじめ、夏にはJR労組米沢支部OB会主催の流しそうめん、秋には米沢市教職員組合主催の芋煮会などが開催されています。大きな催しとしては冬にクリスマス会があり、支援関係者が数か月前から準備をし、ボランティアによる出し物など、帰還された方もお越しになり、同窓会のような雰囲気で楽しんでもらっています。


▲真備町にてボランティア仲間と(右側)

最近は全国で災害が相次いでいますが、一昨年の水害の際には岡山県真備町を、そして昨年の台風19号の災害に際しては南相馬市や丸森町にボランティア参加しました。震災時に受けた御恩を忘れず、災害時などの支援活動に少しでもお役に立ちたいと思っています。「おいで」ではご相談や困りごと、話を聞いてもらいたい時など、お気軽にお越し頂きたいと思っています。一人ひとり環境も違うとは思いますが、自分だけで抱え込まず、話すことで少しでも気持ちを軽くして帰ってほしいと願っています。

【お問合せ】
避難者支援センターおいで
米沢市金池3丁目1-14 置賜総合文化センター2F
TEL:0238-26-8003
URL:http://yonezawanet.jp/oide/