Q 震災前はどのように過ごしていましたか
浪江町請戸出身です。子どもの頃から水平線から昇る太陽を見て、波の音を聞きながら育ちました。天保時代から代々続いている鈴木酒造の家業を継ぎ、早朝5時から仕込みを始める時もありました。昔は廻船問屋や漁業をしていた時期もあり、海は宝庫でした。
Q 震災時~避難までの様子を教えて下さい
外出先から自宅に戻ると大きな揺れを感じました。すぐに外に出て、車につかまっていましたが、揺れはどんどん大きくなり、最後の大きな縦揺れで母屋が自分の方に倒れてきました。周囲の家も次々倒れていきましたが、幸いけがはなく、他の家族も母屋の反対側の自宅と蔵に避難していたため難を逃れました。
すぐに、日頃から訓練で避難していた高台に避難しました。高台の下で町民を誘導している時に、海の近くにある松林の高さと同じ大きな津波が遠くに見えました。その姿はまるで巨大な屏風の形に見えました。津波が山にぶつかりものすごいしぶきが上がったのを見てあわてて高台に避難しました。高台にはすでに30名ほどが避難していました。雪が降りとても寒かったのを覚えています。家族は別々に避難していましたが、近所の方から家族の無事の知らせを聞き安心しました。その夜は浪江町役場で一夜を明かし、翌日は津島地区を経由し、縁もゆかりもない米沢市に向かいました。
〇磐城壽 季造りしぼりたて
香りは爽やかさのあるラムネ的な香り。口当たりもソフトで瑞々しくフレッシュ!澱が絡んでいることもあり、ふっくらとした優しい米の旨みがフワッと広がっていきます。
〇本みりん「黄金蜜酒」
ストレートではデザート酒。炭酸割にはバジルや生姜をトッピング、また牛乳割など、日本酒同様温めることができ、幅広い飲み方ができます。
Q 避難後の様子を教えて下さい
米沢市内では、たまたま財布に入っていたお金でガソリンを給油し、宿泊と食事もできました。当時は避難生活がこんなに長くなるとは思いませんでした。別々に避難していた妻と母親と米沢市で合流する事ができ、その後、無料の物件を紹介してもらい、総勢11名でしばらく米沢市での避難生活が続きました。その後、2011年の10月に長井市で3月まで運営していた「東洋酒造」をそのまま引き受けました。着のみ着のまま避難をしてきたため、全てがゼロからのスタートでしたが、地元の銀行の方からも大変お世話になり、なんとか酒造りを再開することができました。今は9月の末から翌年のお盆まで一年中新鮮なお酒が造れます。
山形での一番の悩みは雪が多い事ですが、風があたらず雪が積もるので温度が一定になり、酒造りにはこの気候が適しています。息子たちの時代になり、今後も酒造りをがんばってほしいと願っています。
避難者へのメッセージ
震災が起こった3月11日は、仕込みの最終日でお祝いをする日でした。あの揺れが夜に起きていたら自分達は避難していなかったかもしれません。
現在、請戸地区は居住できなくなり自分達の故郷はなくなってしまいました。現在も他の地域で海の近くに避難されている方も多く、今後もし津波避難指示がでたら「みんなで避難しよう」とお互いに声がけをしてほしいと思います。
【お問合せ】
(株)鈴木酒造店 長井蔵
長井市四ツ谷1丁目2番21号
TEL:0238-88-2224
FAX:0238-88-3503