フリーペーパー うぇるかむ

「うぇるかむ」は、東日本大震災により、山形県へ多数の方が避難されたことをきっかけに、2011年8月に創刊されました。詳しくはこちらをご覧ください
寒河江市社会福祉協議会 介護福祉課 ホームヘルパー 加藤 絵美 さん

Q 震災の時の様子を教えて下さい

 福島市出身です。当時は、伊達市のデイサービスセンターで勤務中に地震に遭いました。1歳の長女も一緒だったので、必死で子どもの身を守り揺れがおさまるのを待ちました。その後、信号が消えている道路を慎重に車で走りながら、いつもは30分ほどで到着できる自宅に、1時間もかかりようやく帰宅することができました。新築して間もない自宅はオール電化のため、停電時は食事など大変でしたが、翌日には電気が復旧して徐々に普通の生活に戻っていきました。その後、放射性物質の影響が気になり、夫の親類がいる北海道を経由し、寒河江市に2011年11月に娘と2人で避難をしました。

Q 寒河江市に避難してからはどのように過ごしていますか?

 高校時代の友人が寒河江市に避難していたため、情報を聞く事ができましたが、友人は早々に福島に帰ってしまい、しばらくは娘と2人で生活をしました。夫は仕事のために福島市で生活をしていますが、休日のたびに寒河江市に来てくれます。
 その後、震災前に取得していた、ケアマネージャーと介護福祉士の資格を活かし、寒河江市社会福祉協議会の訪問介護の仕事に就き、7年目になりました。現在は小学5年生の長女と3歳の二女の子育てをしながら仕事と両立しています。
 訪問介護の仕事は、1人で仕事をするプレッシャーがあるのではないかと思っていましたが、先輩から、「訪問介護の仕事は1人だけど、次のヘルパーが気持ちよく仕事が出来るようにする事が大切だよ」と聞きました。1人の人をチームで支えるという事は、施設介護での経験しかない私でも、その時の経験を生かして働く事ができるのではないかと思いました。

 

Q 今後の目標はなんですか?

 震災前、10年間福島市の混声合唱団に所属しておりましたが、実母の介護中に長女を妊娠、母が他界後出産と慌ただしくなり、やむなく退団しました。その2年後に震災が起き、生活拠点が福島市から離れましたが、記念の演奏会など、時々ステージに立って歌っていました。そして昨年秋に、合唱団の創立50周年記念の演奏会があり、4?5カ月前から練習に通いました。そこでたくさんの懐かしい仲間に会って楽しい時間を過ごしていく中で、また歌いたい気持ちが大きくなってきました。思い切って、今年の6月から合唱団に本格的に復帰しました。復帰にあたり、主人も子供たちも賛成してくれました。山形にも福島にも、私の生活環境を理解してくれるたくさんの人がいて、とても有難いです。今は、9月の福島県の合唱コンクールのステージに立つ事が目標です。毎日、仕事で訪問先への移動中に、車の中でコンクールの課題曲と自由曲を聞いて必死に覚えています。大変な生活ではありますが楽しみが増えました。居心地の良い合唱団で、ベテランさんが沢山います。こんな私や子供たちを可愛がって下さり、大切な居場所だと感じています。

避難者へのメッセージ

 昨年、福島市内の自宅を売却し、市内に実家もあるのにどんどん福島が遠のいていきました。ですが、福島を嫌いになって離れたわけではありません。合唱団でステージに立てる事で、また福島を身近に感じられるようになりました。
 さまざまな状況や想いでみなさん生活をされていますが、新しい出会いがあり助けてもらっています。辛い思いをしても、縁があって来たこの場所で前向きに生活をしていきましょう。

 

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