フリーペーパー うぇるかむ

「うぇるかむ」は、東日本大震災により、山形県へ多数の方が避難されたことをきっかけに、2011年8月に創刊されました。詳しくはこちらをご覧ください
東北公益文科大学 3年 酒田市 梶原 鈴紋 さん

Q 震災の時の様子を教えて下さい

 宮城県気仙沼市出身です。当時は小学校6年生でした。卒業式の目前だったので、学校で卒業文集を作成している時に地震がきました。数日前にも大きな地震がきたばかりだったので、慌てずに様子をみていたらどんどん揺れが大きくなり、先生の指示で机の下に隠れました。揺れがおさまり校庭に避難しましたが学校の近くに川があったため、津波がくるのではないかと恐怖を感じました。その後、迎えにきた親と一緒に自宅に帰りました。幸いにも高台にある自宅は無事でしたが、海の近くにあった祖父母の自宅が流され、祖母がいまだに行方不明になっています。

Q 震災後はどのように過ごしていましたか?

 自宅が崩れそうだったので、2日間、車の中で避難生活を過ごしました。自宅の中は家具や食器などが散乱していましたが、余震も多く片付けなどは何も手をつけられずに日々を過ごしていました。1ヶ月ほどは電気のつかない生活だったので、寒くて体調を崩し、熱を出してしまいました。当時は病院にも行けず、薬もありませんでしたが、近所の人が毛布を持ってきてくれた時は人の温かさを身にしみて感じました。今までは暖かい環境が当たり前だったので、当時小学校6年生の自分にとってはとても辛い経験でした。4月になり中学校に進学しましたが、家族が亡くなり学校に来なくなった友人もいました。
 高校生の時は障害者施設でボランティアをしました。母親を亡くし悲しんでいた障害児とふれあい、今自分が出来る事はこの子と一緒に楽しむ事と感じました。その気持ちが伝わり別れ際に泣きながら感謝してくれました。

Q 酒田市に来てからはどのように過ごしていますか?
 2017年4月に酒田市の東北公益文科大学に入学しました。公益大は学費が安く、海外への留学制度もあり、公務員を目指している自分にとってはピッタリの大学でした。
 大学では、男子バスケ部のマネージャーとして活動をしています。試合中はスコアを付け、練習後の片付けや部員のお世話をしています。2年生の時にはアメリカへ1ヶ月ほど留学をしました。

 気仙沼市の実家には2~3ヶ月に1回は帰っていますが、自宅近くの風景は震災前とすっかり変わってしまいました。今まで高い建物がほとんどなかった場所に、ビルの様な復興公営住宅がたくさん建ち、多くの人が入居しています。新居が津波で流されてしまい、ここに住めるだけでもありがたいと話す知り合いもいました。その一方で、津波で流されてしまった沿岸部の祖父母の自宅の跡地には今も何も建っていません。

Q 今後はどんな事をしたいですか?

 将来はまだはっきり見えていませんが、大学のゼミで各地の災害を調べています。災害は日本全国でどんどん多くなっていて、自分が経験した東日本大震災を伝えていく事は大切だと感じました。今後自分が経験した事、感じた事、思った事を地元気仙沼市の高校生に伝えていきたいと思っています。

避難者へのメッセージ

 震災から8年が過ぎ、忘れ去られてしまう事が多くなりましたが、3月11日は自分にとっては忘れられない日になっています。何年たっても復興は大切な事で、どんどん復興は進んでいます。今後、どんな気持ちで過ごせばいいのか分からない人もたくさんいますが、日々頑張って皆さんが元の生活に戻れる事を祈っています。

 

☆梶原さんと連絡が取りたい方は下記までお問合せください。お繋ぎします。
【お問合せ】復興ボランティア支援センターやまがた
TEL:023-674-7311