フリーペーパー うぇるかむ

「うぇるかむ」は、東日本大震災により、山形県へ多数の方が避難されたことをきっかけに、2011年8月に創刊されました。詳しくはこちらをご覧ください
山形市 東北芸術工科大学大学院地域デザイン研究領域 金 洸 志さん
山形市
東北芸術工科大学大学院地域デザイン
研究領域
金   洸  志 さん

Q 震災の時はどこで過ごしていましたか?

 岩手県大船渡市出身です。震災時は高校1年生でした。その日は学校を休んでおり、母親の運転する車の中で地震に遭いました。急に激しく揺れ出した信号機に危機感を覚え、すぐに高台の公園に避難をしました。高台から見る町はすでに波に襲われていて、見慣れた大きな建物が斜めに傾いて流されていました。その光景はあまりにも衝撃的で、他に避難してきた人達と言葉も交わさず、ただひたすら惨状を見ていました。
 暗くなってから山道を下り、その日は小学校の体育館で一夜を明かしました。翌日戻った自宅は全壊していて、父親が住職を務めるお寺も浸水により、しばらく住める状態ではありませんでした。無事だった檀家さんのお宅に避難させて頂き、一週間ほどでお寺に戻りました。
 家族は幸いにも全員無事でしたが、お寺にはご遺体が一時期安置され、また亡くなった同級生がいたことを知り、死を身近に感じました。当時は震災の事をあまり考えないようにして、早く忘れたいという思いでした。

Q 東日本大震災の被災地に建立された慰霊碑の研究をしているとお聞きしましたが、研究を始めたきっかけを教えて下さい。

 自宅のお寺に、震災の慰霊碑が建立された事がきっかけでした。それまでは慰霊碑は重要な物ではなく、むしろ震災が起きて大変な時に建立する意味があるのか、他に生活に必要な物がもっとあるのではないかと思っていました。しかし、大学生になって山形で暮らしていると震災の記憶はどんどん薄れ、また大船渡市に帰省するたび、大きく変わっていく町並みにも不安を感じ始めました。そんな中で、震災の記憶を形として今に残している慰霊碑の存在は、とても重要なのではないのかと考えるようになりました。

 

Q 慰霊碑研究の内容を教えて下さい。

 2017年の7月中旬から2018年の11月末までの期間、インターネット、本、新聞で情報を集め、お寺に勤める両親からの協力もあり、自転車や交通機関を利用して青森県・岩手県・宮城県・福島県の慰霊碑を500基回りました。全ての慰霊碑の写真を撮影し、建立の意図を取材し冊子にまとめました。中には変わった慰霊碑もありました。「忘れない」と刻まれた慰霊碑が日時計になっていて、震災発生時刻に光と影が「忘れない」の文字に重なるようになっています。震災の時間を忘れないために作られた慰霊碑です。山奥のお寺に慰霊碑が建立されたことを知った時は不思議に思いましたが、実際に行ってみるとその近くには避難所がありました。慰霊碑には、一つ一つ建立者や被災地の想いが詰まっていることを、強く感じました。

避難者へのメッセージ

 以前の自分は、震災について避けたい気持ちが強かったです。もちろん忘れることで救われる方もいるだろうし、震災に向き合うことだけが強さではないと思います。でも、何かきっかけがあれば前に踏み出したいという想いもありました。そんな時に興味を感じたのが慰霊碑でした。
 福島県を訪れた時に印象的だったのは、幾つものお墓を積み重ねて建てられた慰霊碑です。原発の影響により、多くのコミュニティがバラバラになってしまった現状に対して、かつての繋がりを失いたくないという強い想いが表れているように感じてなりません。
 慰霊碑は暗く、辛いことを想い出すものではなく、生きている人たちの為に寄りそっている存在であると思います。私が調査した500基の慰霊碑の情報はTwitterにて全て掲載していますので、これを参考に慰霊碑巡りをしてもらえたら嬉しいです。

 

[Twitterアカウント→@TsunamiMonument]
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復興ボランティア支援センターやまがた TEL:023-674-7311