浅野 健司 さん・かおるさん
健太くん(小5)
敬太くん(小2) さん
Q 震災の時はどこで過ごしていましたか?
【健司さん】出身は福島市です。震災当時は川俣町の工場に勤務しており、職場の近くの集合住宅に家族4人で暮らしていました。当日は早番で帰る直前に地震がきました。揺れがおさまってから社内の設備の被害状況を確認し、一番最後に帰宅しました。
【かおるさん】出身は福島市です。震災前年の10月に下の子が生まれ、当時は育児休暇中で川俣町の自宅にいました。揺れがとても長く感じましたが、自宅は、鉄筋コンクリートの集合住宅の一階のため、揺れはそれほどひどくなく、被害もあまりありませんでした。余震もありましたが、すぐに当時3歳の上の子を保育園に迎えに行きました。
食事はカセットコンロで作り、夜はローソクと石油ストーブで過ごしました。幸い子どものミルクも買い置きがあったため、不自由なく過ごすことができました。
Q 鶴岡市に避難したきっかけは何ですか?
【健司さん】震災後は、仕事から帰ってくると、外で作業着を脱いでから自宅に入りました。日々の生活を過ごしながらも、気持ちは落ち着かず、やはり子どもたちの事を一番に考えて、家族4人での避難を決めました。
【かおるさん】2011年3月19日に実家がある福島市に避難しました。4月からは仕事に復帰し、子ども達は福島市の保育園に転園しました。保育園では、マスクをしての外遊びや、時間にも制限があり、のびのび自由に外遊びができる場を探していました。その時に、友人から無償で空き家が借りられる情報サイトを教えてもらい、そこから現在の住まいを見つけ、2011年6月に親戚や知り合いもいない鶴岡市に避難をしました。
Q 避難してからはどのように過ごしていますか?
【健司さん】すぐに、以前勤務していた同じ職種の仕事に就きました。休日は、夏は由良で磯釣りをしてエビや小鰺、いなだを釣っています。冬はスキー場や温泉に行き、家族4人でレジャーを楽しんでいます。
【かおるさん】現在の仕事に就くまでは、鶴岡市社会福祉協議会主催の編み物教室に通っていました。集まっておしゃべりができる気軽な会で、宮城県や福島県から避難してきた方と交流をしました。当時知り合った方は帰ってしまった方が多く、たまにメールなどで現在も連絡をとっています。その後、子どもが幼稚園に入ったのをきかっけに鶴岡市で就職をしました。仕事を始めてからは、新たに地元の方々とのたくさんの出会いがありました。仕事先では、お野菜や鶴岡市の特産品「だだちゃ豆」もいただき大変ありがたいです。子どものお迎えの時に声をかけてもらった近所のママ友とも仲良くしています。子ども達もすぐに鶴岡市に馴染み、自然にたくさん触れ、のびのびと育ちました。
避難者へのメッセージ
自分達にとっては、鶴岡市が第二の故郷です。避難当初は、明るくふるまっていたつもりでも、どこか暗さが残り、今でも震災の時期になると福島市に帰りたくなります。でも、3ヶ月がんばろう、あと半年がんばろうという想いから、あっという間に7年が過ぎました。それが出来たのは、日々楽しく生活してこれたからだと思います。皆さんにもぜひ、自分が選んだその場所で楽しく生活してほしいと思います。自分の故郷にはない物が、今住んでいる所でみつかるかもしれません。地域に根付いて健康でがんばっていきましょう。
☆浅野さんと連絡を取りたい方は下記までお問い合わせください。お繋ぎします。
【お問合せ】
復興ボランティア支援センターやまがた
TEL:023-674-7311