フリーペーパー うぇるかむ

「うぇるかむ」は、東日本大震災により、山形県へ多数の方が避難されたことをきっかけに、2011年8月に創刊されました。詳しくはこちらをご覧ください
株式会社新関タイヤ勤務 西川町在住 掛田和仁さん

株式会社  新関タイヤ  勤務
西川町在住 
掛 田 和 仁 さん

 

Q 震災の前は、どこで過ごされていましたか?

学生時代は富岡町で母親と弟と過ごし、卒業後はいわき市で車の整備士をしていました。震災時は、いわき市の沿岸部にある平下高久で仕事をしていて、仕事が終わり、お客さんと話をしている時に地震に遭いました。津波が来ると放送があり、驚いて避難できずにいた仕事先のおばあちゃんを背負い、無我夢中で高台に避難をしました。その時のおばあちゃんとはその後1度会うことができ、現在はいわき市の仮設住宅で元気に暮らしています。
勤務していた会社は再建のめどが立たなかった為、新聞配達をしながら、地元で流された車を引き揚げる手伝いをしていました。震災後にすっかり変わってしまったいわき市が、元の景色に戻ってほしいとの気持ちもありました。その後、知り合いが山形県にいたため、2011年の10月に寒河江市に避難しました。すぐに、ハローワークで現在の職場を紹介してもらい、面接時には、現在に至るまでの自分の状況や、今後の決意などを書いた手紙を渡しました。

寒河江市に来たばかりの頃は蝋燭の灯りで生活し、車もなく1時間歩いて通勤しました。カーテンは作業服を代用し、社長の奥さんから生活用品や食料をもらっていました。山形県の冬は厳しく、最初は雪掻きの仕方もわかりませんでした。周りの方々からお世話になりながら、少しずつ山形での生活にも慣れてきた頃に、妻と知り合いました。妻とは、社長の紹介で商工会の青年部の集まりの時に出会い、車好きという共通の話題もありました。2014年に結婚し、翌年に娘が生まれ、部屋が狭かったこともあり、2016年に寒河江市から西川町に引っ越しました。西川町では、近所の方も温かく、休日の忙しい日には娘を預かってくれる友人もできました。子育てにも最適な環境で、大変感謝しています。


Q 現在はどのようにすごしていますか?

魚やエビ、熱帯魚を自宅でたくさん飼っています。魚がどんどん大きくなり、水槽を買い替えたのがきっかけで、水槽が増えていきました。今は娘も掃除や魚に餌をあげ、世話をしています。
休日は娘と遊ぶ事が一番の楽しみです。山形の温泉は料金も安く、手軽に行けるので最近は娘と2人で温泉に通っています。

Q 今後はどのように過ごしたいですか?

仕事が続く限りこちらで生活をしていく予定です。くじけそうになった時もありましたが、お世話になった方々に恩返しをしなくてはならないとがんばってきました。山形県に避難して社長との出会いがなければ、自分はいわき市に戻り、妻とは出会っていなかったと思います。

避難者へのメッセージ

避難時はとても大変でしたが、今は立ち直っています。希望をもって仕事をしていれば家族もでき幸せになれます。避難して一番感じたことは、人との出会いは大切だということです。今後も会社に貢献をして、、家族全員が幸せになれるようにがんばっていきます。

 

☆掛田さんと連絡を取りたい方は下記までお問い合わせください。お繋ぎします。
【お問合せ】復興ボランティア支援センターやまがた
TEL:023-674-7311