フリーペーパー うぇるかむ

「うぇるかむ」は、東日本大震災により、山形県へ多数の方が避難されたことをきっかけに、2011年8月に創刊されました。詳しくはこちらをご覧ください
伊達もんもの家 高橋寛子さん、新井芳美 さん、高野奈津子さん

◆Q 震災の時はどこで過ごしていましたか?

高橋 2011年7月に当時8ヶ月の子どもと山形市へ3年半避難し、避難中に第二子を授かりました。家族には、目に見えない放射能を説明するのが大変でストレスになりましたが、夫の協力もあり避難生活を送ることができました。山形は子どもの遊び場や子育て支援センターなどが充実していました。

新井 震災時は、姉を頼って埼玉と愛知に数ヶ月間の避難を経て、当時3歳と0歳の子ども2人と2011年10月に中山町へ移り住み、約2年半の避難生活をしました。中山町では地域の方々にとても親切にしていただきました。知らない土地で不安でしたが、山形市で開催された伊達市の交流会で多くのママ友ができ、不安解消につながりました。

高野 震災時は末っ子を妊娠中でつわりの時期でした。夫の弟が群馬にいたので2週間ほど避難しましたが、長女の卒園式を控えていたので、前日に伊達市霊山町に帰ってきました。4人の子どもの子育てが忙しく、避難をせず地元に住み続けました。当時、霊山には浪江や三春から避難者の方々が来られましたが、混乱の時期を過ごしたことを覚えています。

 



◆Q 帰還後の暮らしはいかがですか ?

高橋 伊達に帰ってきて3年目ですが、時とともに自分の気持ちは整理されてきました。食材はいまだに選んでいて、野菜や果物などは宅配を使っていますが、外で食べるときはやさしく、家で食べるときは厳しく、など緩急をつけるようになりました。子どもの砂遊びも、時間を決めて自宅周辺ならOKという見方に変わりました。昨年、放射能の測定に関する研修を受け、食べ物や畑の土など自分たちで測れるようになりました。自分で確かめ、行動することで先入観も消えていったように思います。

新井 伊達には4年前に帰ってきました。伊達で帰還者の交流会があり、避難時のママ友と再会しました。同じ境遇の方だと悩みや不安など話せることも多く、そのような場はありがたく感じました。放射能に対しては、専門家がいくら大丈夫といっても、モヤモヤするものがありましたが、自分たちで通学路や散歩コースの線量を測定し、納得できる数値だったので不安は減ってきています。放射能だけが子育ての悩みではなく、外に出さないストレスや運動不足など、いろいろな悩みの一つとしてとらえています。福島に帰ってきて4年間で気づいたことも多いです。

高野 帰還された方の集まりに参加し、話を聞くうち、避難時の感情や気持ちを自分の中に留めていたことに気付きました。震災当時は子供のことで忙しく、普通に暮らしてきましたが、気になっていることはたくさんありました。地元の学校についてはプール・校庭・遊び場などその都度話し合いが持たれ、一歩一歩進んできたように思います。地元に住んでおり、原発事故後の状況は逐一わかっていたので、不安はあまりありませんでした。

◆Q 避難者、帰還者へのメッセージ

高橋 山形では本当にお世話になりました。伊達にも室内遊び場などは増えましたが、自然に触れさせ、思いっきり外遊びをさせたいときは週末などに山形に行っています。

新井 避難生活は、中山町での暮らしも気に入り、このまま住んでもいいと思っていました。第二のふるさとだと思っています。今でも時間があれば寒河江のチェリークアパークなどに行き、遊び場と温泉、産直などを楽しんでいます。

高野 今、避難されている方も帰られた方も、
決断をして行動をしたという点で、とても尊いことだと思っています。自分も子を持つ母親として同じ気持ちを持っています。立場は違いますが、この仕事を通してその気持ちを忘れずに帰還された方とつながっていきたいです。

 

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伊達もんもの家
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