天童走ろう会 監督
天童市 三浦 忠 さん
◆Q 震災の時はどこで過ごしていましたか?
福島県伊達市生まれです。以前は銀行、不動産関係の仕事をしていました。震災の時は、運転している最中に地震に遭いました。原発事故が起きた後は、「市民の為に何かできないか」という想いで放射能に詳しい医師や大学教授などを呼んで放射能の市民勉強会を開くなどしましたが、震災から4か月後に、山形県に避難して来ました。当時は米沢市も山形市も一杯で受け入れる余地はなく、当時は山寺や将棋の駒ぐらいしか知らなかった天童市に来ることになりました。
◆Q 走ることを始めたのはいつからですか?
若い時から走るのが好きで、中学生の時には100m走で東北1位となりました。目標は全国10位以内に入ることでしたが、11位で終わりました。1964年の東京オリンピックの時は、福島県内の聖火ランナーに選ばれ、聖火を持って走りました。ランナーに選ばれた時は、信じられない、という気持ちでした。その時のユニフォームは今でも大事に持っています。生きている間に2度もオリンピックに出会えるのは嬉しい事です。他にも、ハワイ、ニューヨーク、ロンドン、パリ、ベルリン、モスクワ、バンクーバーやアテネなど、世界の国々のマラソン大会に出場しました。そこでは、ドイツ、ゲルマン民族の賢さ、アメリカの豊かさ、イギリス人の紳士さ、花の都パリ、モスクワの寂しさ、古代ギリシャのマラトン、パルティノン等、教科書そのものを学ぶ事ができました。アテネやロンドンはできたらまた行って走りたいコースです。
震災後、天童市に県総合運動公園がある事を知って、どうせならその近くに住みたいと思い、部屋を探し避難しました。ある時運動公園の外周を走っていたところ、声をかけてくれたのが「天童走ろう会」のメンバーの一人でした。会に入会して、メンバーと一緒に走ったり大会に出たり、飲み会をしたり、どんどん楽しみが増えていきました。ここでも東根市や山形市、酒田市、真室川町や金山町など、あちこちのマラソン大会に出ました。タイムは気にせず、子どもたちや老人ホーム入居者などとハイタッチしながら、その地域の景色や食べ物を味わい、楽しみながら走るのが好きです。
◆Q 今後はどのように過ごしていきたいですか?
天童市は、寒さは厳しいけど、食べものが美味しくて良い所です。色んな会に参加して人と話したり、今でも週に3回は県総合運動公園に来て走り、お風呂に入るのが日課です。残された人生、あと何年走れるか分かりませんが、健康であることを一番に願い、色んな人と会って話をして、楽しく走っていきたいと思います。
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