和牛繁殖農家
川西町 横田 健一 さん
◆Q 震災の時はどこで過ごしていましたか?
南相馬市原町区出身です。南相馬市では会社員をしながら、従弟が営む肉牛農家の手伝いをしていました。原発事故後、実家の家族と合流して米沢市に向かいましたが、米沢市の避難所は混雑している事を知って、近い所を探して川西町の避難所へたどり着きました。
避難所では、役場の意向もあり、自分も「少しでも自分たちでできる事をしたい」という想いがあって、入居者で自治組織を作って、代表を務めました。調理班や掃除当番も決め、ほとんど自分たちで運営しましたが、誰一人嫌だという人もいませんでした。また、近くに住んでいた教員の方たちが避難所まで子どもの勉強を教えに来てくれて、避難所で子どもの学習までできた事は、本当によかったです。
◆Q 川西町に住むきっかけは?
避難所から出て、家族は借り上げ住宅で暮らし始めましたが、私は仕事や、がれき撤去をするために南相馬に1年くらい通いました。会社の部下を残して去るのはすごく辛かったですが、手伝っていた肉牛や、たい肥や藁にもセシウムが出た事もあり、いち早く学校に馴染んでいた子どもの気持ちや将来を一番に考えて、川西町に住むことを決めました。
南相馬市にいる時から生き物が好きで「いつか脱サラして牛飼いになりたい」という夢は持っていました。それを伝えたら、役場の方が「牛飼いやるなら応援するから」と言ってくれて、3年間役場に勤めながら準備をして、震災4年目から就農支援を受けて自分で牛舎を借りて始めることができました。牛を買い集める時も、格安で譲ってくれる方がいたり、本当にたくさん助けてもらいました。
ずっと「たくさんお世話になった町民の人達に、何か恩返しをしたい。感謝の気持ちを伝えたい。」という気持ちがあって、震災から3年目頃、繋がっている避難者から協力金を集め、川西夏祭りで「ありがとうございます。今ここで、元気に暮らしています。」など言葉を添えて花火を打ち上げて、お礼を伝えました。
◆Q 繁殖農家を始めてみて、どうですか?
農地と牛舎を借りて、自給飼料も作りながら繁殖農家をしています。ここは土も水も、空気も人も良くて、のどかで素晴らしい環境。南相馬と違う所は、冬は雪があってあまり動けない分、春・夏・秋がすごく忙しい。今は始めて3年目でやっと子牛の出荷頭数も増えて来て、安定経営のスタートラインに立った感じです。
牛は人が思っている以上に賢くて、まっすぐな生き物。一頭一頭表情も性格も違うし、愛情をかければかけた分そのまんま返って来る。触っていると癒されるし元気を貰えます。牛が高値で売れた時ももちろんそうですが、子牛が生まれて自分で立って、初乳を飲む姿を見る瞬間はこの仕事をしていて一番の喜びです。
◆避難者の方へメッセージ
震災から何年かは、苦しい気持ちから抜け出せませんでした。だけどここに来て、沢山の人のサポートがあって、困った時は飲んで、打ち明けて、助けてくれる仲間もできました。孤独でいたら、ここには残れなかったけど、そういう人達がいて、前向きになれて、ここに残ろうと思うようになりました。
感謝の気持ちをいかに持ち続けられるかが一番大事。その人がどこで生きるかは自由。正しい、間違っているじゃなく、最後は自分の生きる道がしっかりあればいい。これからも色んな壁にぶつかるだろうけど、頑張っていれば必ず誰かが見ているし、その分必ず結果が返って来る。後ろを振り返ってもしょうがない。前をしっかり向いて、自分の道を信じていきたいと思います。
☆横田健一さんと連絡を取りたい方は、お繋ぎしますので、下記までご連絡ください。
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復興ボランティア支援センターやまがた
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