フリーペーパー うぇるかむ

「うぇるかむ」は、東日本大震災により、山形県へ多数の方が避難されたことをきっかけに、2011年8月に創刊されました。詳しくはこちらをご覧ください

 山形は温泉がたくさんあり、しかも安い~!あったかくなったら、まだ行ってないところに行きたいです。
(山形市・30代女性)


 時が経つのは早いもので、気がついたら、おはらいもしないまま本厄が過ぎていてビックリしました…。
福島では、洗剤や紙ふうせんを配ったりしますがこっちはどうなんだろう?
(山形市・女性)


 今朝は冷え込み、福島県浜通りでは見られなかった、珍しい現象の「ダイヤモンドダスト」が見れた。
(南相馬市→米沢市・男性)


 子供の成長と共に、6年前のさまざまなことを思い出します。みなさん、素敵な1年にしましょう。
(福島市→米沢市・40代女性)


 「あれがあだたら山、あの光のがあぶくま川」自然いっぱいの福島に、どうして原発を誘致したのだろう。「原発は安全です」の神話はだれが発した言葉なのだろう。2011.3.11東京電力の事故がなければその日がなければ福島県民は皆幸せだったのに!悲しみ、怒り、苦しみの日々を永遠にシャットアウトできただろうに!
(米沢市・60代女性)


 ぼくが南陽市に引っ越してきた時は、まだ小学1年生だったけれど、春から6年生になります。虫遊びや川遊びなどたくさん自然にふれることができて、山形が大好きです。友達と遊んでいるうちに「忠太郎くん山形弁上手になったね」とほめてもらい最初は照れたけれど嬉しかったです。これからも友達と仲良く勉強もがんばりたいです。
(福島市→南陽市・11歳男性)


 震災から六年が過ぎました。地元を離れているからか、あの時の記憶が年々濃く自分のなかに刻まれていくように感じます。わたしは、家族こそなくさずに済みましたが、沢山のお客様と一瞬にして会えなくなってしまいました。震災後まわった海沿いの地域は、あまりにも今までと変わっていて言葉になりませんでした。そこに沢山あったはずのお客様の家がなく…だけど、歩けば歩くほど、家はなくてもお客様の今までの笑顔を思い出しました。
本当に感謝しかありません。普段なかなか話せない内容なので長くなってしまいましたが、その時感じた気持ちを大切に、これからも時には休み休み、笑顔で頑張っていきたいです。
(南相馬市→南陽市・30代女性)