フリーペーパー うぇるかむ

「うぇるかむ」は、東日本大震災により、山形県へ多数の方が避難されたことをきっかけに、2011年8月に創刊されました。詳しくはこちらをご覧ください

迷いに迷って山形へ残ること決めました。昨年、高校受験を機に二女だけ郡山へ戻り、4月には長女が進学の為東京へ。今度は三女と私の2人で山形の生活です。周りの知人だけじゃなくて家族も減っていって淋しいです……。でも4月からの3重生活がんばります!!
(郡山市→山形市・40代女性)


 もうすぐ希望の春になります。電車で福島と米沢の旅も乙ですよ。
(福島市→米沢市・40代女性)


山形に来てもう少しで6年になります。寒さと雪にびっくりしましたけど、だいぶなれてきました。食べものもおいしいです。淋しいけど、時々ふるさとを思い出してます。良い人にも恵まれて幸せです。
(浪江町→高畠町・60代女性)


 今日は好天に恵まれ、近くの最上川の堤防から西吾妻山、月山、朝日、蔵王、飯豊が遠望できた。山が縁で山形県に避難してから丸6年になろうとしている。
(南相馬市→米沢市・70代男性)


 みんなの決断を聞きながら、応援しかできませんが…。帰還する方、またいつでも山形で待っています。遊びに来てくれることを楽しみに!
(山形市民・女性)


東日本大震災から6年が経ち、今でもあれが夢であったらよかったのに…と思う日があります。
 事故直後から電源復旧作業をしていた会社からの要請で、決死の覚悟で作業に従事しました。被爆数値でわずか20日間で現場を後にしましたが、人間がいかに無力なのかを痛感しました。その後、津波で被害を受けた発電所で現場代理人として復旧作業にあたりましたが、次第に体調を崩してしまい、震災後3年で退職しました。
 とても寂しい事ですが、27歳で新築し30年間過ごした自宅は、取壊しをしている最中です。
 今年還暦の私は、妻と犬と暮らしています。三春町にペット可の復興支援住宅が完成した事で、前向きに考え福島に戻る決心をしました。
 悔いが残らないように、新たな仕事を探して挑戦しようと考えています。
 長井市では多くの方のご支援を受け、有意義な時間を過ごすことができました。イベントの参加、芋煮や餅もたくさん食べましたし、史跡や山河を満喫できて良き思い出となりました。長い間のご支援に感謝申し上げます。再会できる時を妻共々楽しみにしています。
 (富岡町→長井市・50代男性)