フリーペーパー うぇるかむ

「うぇるかむ」は、東日本大震災により、山形県へ多数の方が避難されたことをきっかけに、2011年8月に創刊されました。詳しくはこちらをご覧ください

 山形から、福島に戻ってからも「うぇるかむ」届きます。いつも見守られている様で嬉しいです。ありがたいです。避難している人たちの気持ちや、動行が分かり、参考になります。やはりどこにいても寂しいです。福島に戻っても寂しいです。山形の皆様感謝しています。
(南相馬市→郡山市・50代女性)


 住宅支援が段階的に無くなるのを機に福島に帰る事にしました。運よく市営住宅に当選したためです。当選するまでは心も落ち着かず、イライラしっぱなしでした。私の様に不安な方、沢山いると思います。5年て短いです…。
(福島市→山形市・40代女性)


冬を元気にのりきりマス
(福島市→米沢市・40代女性)


 一緒に避難してきた柴犬14才と散歩しながら、近くの白鳥飛来地へ。鳥インフルエンザで靴底消毒のため「クレゾール液入り」容器あり、ノロウイルス等何処も大変。
(南相馬市→米沢市・70代男性)


未曾有の大震災から六年が経ち、「歳月人を待たず」ですが、私達避難者も、早六年が過ぎようとしております。六年の歳月は大きいもので、三才に成ったばかりの孫も、成長してこの四月で四年生です。
 避難当時は母親との別々の生活に不安を感じ、別れる度にどれ程の涙を流し、寂しい思いをさせた事だったかと、今振り返っても親も子も皆、必死で心をとられる程の悲痛の中、孫を預かり、先の見えない日々の生活に夢中でした。
 あの時の苦しみ悲しみは決して忘れられる事では有りません。過ぎ去った事は戻りませんが、人災だったと言われている原発事故さえ無かったらと、今更の様に思うばかりです。人は、一人では生きられません。震災で、沢山の方々に沢山のお心や御支援を戴きました。
 山形の皆様には大変御世話に成りました。私達の第二のふる里に感謝の気持ちで一杯です。
(山形市・60代女性)