フリーペーパー うぇるかむ

「うぇるかむ」は、東日本大震災により、山形県へ多数の方が避難されたことをきっかけに、2011年8月に創刊されました。詳しくはこちらをご覧ください

 震災から5年もたったのに、前に進めない自分、他の人の方が苦しいのに頑張っていると思い続け、口に出せず、涙も流さずの5年間でした。
体が悲鳴を上げ、喘息・片頭痛・じんましん一度に吹き出して来ました。地震・放射能恐ろしい!!なかなかクリア出来ないです。私だけ?
(福島市→山形市・50代女性)


 4月に福島に戻ってきました。幼稚園も親の方がどきどきしましたが、「私も山形に避難してきたんですよ。」と声をかけていただき、すこしホッとしています。私も来年だれかをホッとさせてあげたいです。
☆長い間、いろいろとありがとうございました。山形、大好きです?
(福島市→山形市・40代 女性)


 震災から5年たち、今年やっと実家の田に稲が植えられました。色々心配はあります…だけど、その土地でしか出せないお米の味があると思います。ずっと見て育った田のある風景。本当に本当にうれしいです。
(南相馬市→南陽市・30代女性)


 福島へ帰るか悩んでいます。犯罪が多くなったとの事。葬儀の際も玄関には喪中を揚げないとの葬儀社の説明にもおどろき、安心して生活できる場所ではなくなったのかと感じています。福島へ帰った方のお話も聞きたいですし、福島で暮らす両親、友達も大変心配です。
(郡山市→山形市・40代 女性)


南陽市の皆様へ
 南陽市に避難して早や5年が経ちました。
 南陽市の皆さま、避難者支援員の方々皆さんに温かくして頂き、いつも色々な行事、旅行に誘って頂いたり、明るい笑顔で訪問してくださったり、閉じこもりがちな私達夫婦は、いつも元気づけられました。小学生達が一生懸命作った野菜も頂きました。
 本当に本当にありがとうございます。感謝でいっぱいです。世話になるばかりではいけませんネ。自立します!!
(伊達市→南陽市・60代 女性)


新緑のキレイな季節。
 子供とお散歩しながらFukushimaに思いをはせています。
(福島市→米沢市・40代女性)


 来年、福島へ戻る事になりそうです。私は、もう少し山形で子育てをしたいと考えていましたが、旦那は、日に日に地元に帰りたい気持ちが強くなっているようです。でも、地元には戻りたくないと言うか、地元で子育てするのが不安なので、地元に戻らず、とりあえず福島市で生活しようかと、夫婦で話し合っている所です。
(福島県→山形県・20代女性)