フリーペーパー うぇるかむ

「うぇるかむ」は、東日本大震災により、山形県へ多数の方が避難されたことをきっかけに、2011年8月に創刊されました。詳しくはこちらをご覧ください

 何かにつけ感じる事。やっぱり家族はいつも一緒の時間を共有できてこそ幸せなんだと。しんどい事もイラッとした事も、家族の笑顔で気持ちが楽になります。これから変化する生活も家族一緒ならでっかい『力』になります。Fight!私。
(郡山市→山形市・40代女性)


 震災から、5年が過ぎようとしています。
山形で生活していて、放射能が怖い、子供を守らなければと生活して来ました。今年山形を受験した息子を卒業させたら、私達夫婦は自分の築きあげた家に帰ろうと思っています。でも今、私達家族の中では放射能の問題より、地元の治安の悪さ、全国から作業員が集まったことにより怖い事件が聞こえて来るようになりました。
高齢者ばかりが戻った地で、10年後、20年後のことを考えると…。高齢になった母のことを考えると、戻ってあげなければと思う、母が生きているうちはそこで生活させたい。でも、その後どうなるのか?またその時が来たら、また別の決断をしなければいけないような気もします。心落ちつかない毎日を過ごしていることが本音です。
(南相馬市→山形市・40代女性)


 震災避難者だから義援金を相当もらったんでしょうと周りから言われ、私は「1円ももらっていません。」と言うと信じてもらえず、納得の出来ない町内会へ入り会費を払って下さいと町内より幾度となく言われ、人間不信です。  (名取市→村山市・60代女性)


 妊娠を期に新潟へ。子育て支援の面ではとても良かったんですが、雪、天候(曇り空が多く、青空は真夏ぐらい)がいまひとつ…ということもあり、仙台に移りました。仙台では、まず「きびたん‘S」があったことで心強く、相談が出来て、楽しい時間がすごせリフレッシュできます。孤立感は感じません。
(郡山市→新潟市→仙台市・40代女性)


 夫から今春、福島へ戻らなかったら自殺すると言われ、今春福島へ戻ります。子供の健康と自分の命を天秤にかける夫と生活していけるか心配です。
(福島県→山形県・女性)


 今日3月11日あの日から5年です。
テレビで南相馬市や大熊町などがうつり変わらぬ町…田畑には借り置場の黒いぶったいがあり、こんなあの日から戻らぬ町へ帰れとは…国はひどい!!来年借り上住宅うちきり…ひどいです!!元の町に戻してから言ってもらいたい。
(南相馬市→東根市40代女性)


ピヨたま見ました。うぇるかむでいつも元気をもらっています。私だけじゃない。みんな頑張っているんだなと実感します。中島明日香さんは小・中・高の先輩なんです。ルーシーダットン参加したことがありとてもスッキリしました。
(南相馬市→上山市・30代女性)