フリーペーパー うぇるかむ

「うぇるかむ」は、東日本大震災により、山形県へ多数の方が避難されたことをきっかけに、2011年8月に創刊されました。詳しくはこちらをご覧ください

 先日、知り合いに会って「いつも元気だね」と声をかけると「カラ元気」だと言う。
眠れないので精神安定剤を服用しているのだと。わかるよ、わたしもそうだから。
彼女もわたしも、テレビで震災関連のことを放映しているとチャンネルを変えてしまう。
映像から目を背けたい、5年経っても見たくない。心と体が連動して息苦しくなる。
わたしの周りの津波の被災者は、そんな人が多い。
 


 今。笑顔でいられる幸せ?
大震災の後の原発事故
友達が1歳の子供と関東へ避難。
買い物をする為に駐車していたら、『福島へ帰れ!』と車に書いた紙がはってあったと、泣きじゃくりながら、電話してきた。
私達、何も悪い事していないのに福島だから、バイ菌のような扱いをされて!
その他にもテレビや新聞でも、福島県民であるが為の嫌がらせを知り、辛かった!!
私達の方が、被害者なのに。
それから、山形県南陽市に避難する事になり、駐車場に福島ナンバーの車を置くのが怖く、なるべく端の目立たない所においた。
帰って何かされていないかと車を丁寧に見ては、安堵した。
そんなびくびくした怯えた気持ちで、暮らしていた。
そんな時、市役所から配布された「うぇるかむ」を読んだ。
避難者向けの冊子。避難者の集いや地域の情報。
自分だけじゃないんだ。と心強く思えた。
その中で志村友理さんのコラム。
いつも、自分の心を見透かされているような一番大切な言葉を頂いて。
包みこむような言葉の温かさ、やっと号泣する事が出来た。
ずっと私、泣きたかったんだ。
泣きたくても、もっと辛い思いをしている人がいる。ガマンしなくちゃ。
生活するのに大変な人達がいるから、笑っちゃいけない。
心に幾重の扉をつくり、毎日、グレーな世界にいた。
友達に「笑わなくなったね。」と言われ、その事に気づいた。
あんなに笑い上戸の私が、笑ってなかった。
一時間程、嗚咽していたらお腹がすき、みかんを食べたら、身体中に吸収されていくように美味しさが染み渡っていった。
生きている!私、生きている!
これからの人生、楽しんでいく!
そう思えた瞬間。
「うぇるかむ」の編集者の方々、友理さん。
ありがとうございます?
(福島市→南陽市→小国町 40代女性)