フリーペーパー うぇるかむ

「うぇるかむ」は、東日本大震災により、山形県へ多数の方が避難されたことをきっかけに、2011年8月に創刊されました。詳しくはこちらをご覧ください

*山形へ
 3.11より早5年になろうとしています。山形に来て右も左も分からない時に色々な方々が手を差し伸べて下さって、あの時の思いは一生忘れられません。
 山形に来なければ出会わなかった色々な方々、この先一生山形に根を下ろす事に決めたので、この出会いを大事にして行きたいです。
 これからは、山形に恩を返す心づもりでいます。
(南相馬市→天童市・女性)

*みなさんへ
 私達にとって山形は第2のふるさとです。たくさんの思い出をありがとう…。
(伊達市→山形市・30代・女性)

*子どもたちへ
 目に見えない放射能の影響を恐れ、避難してきたあの日から…右も左も分からない土地での生活は、子どもたちの成長だけが心の支えでした。
 2歳と4歳だったあなたたちも、すっかり置賜弁を話すお姉ちゃんお兄ちゃんになり、勉強に剣道に頑張る姿は、お母さんの誇りです。
 お友達もできて、ずっと高畠にいたいと言われても、「ずっと居られるよ」と約束できなくてごめんね。
 雪国での生活のおかげで福島に居た頃よりも丈夫になったあなたたちが、これからもずっと健康で居てくれる事がお母さんの願いです。(福島市→高畠町・30代・女性)

*友人へ
 4月には福島へ戻ります。避難という経験を通して山形で出会った人たちに本当に感謝したいです。
 出会いは私の宝物になりました。ありがとうございました。
(伊達市→南陽市・30代・女性)

*山形へ
 この地に避難して5年、子供の高校進学と共に自宅にではありませんが近くに帰ります。
 子供の友達が増えると共に親にも友達ができ、帰るのがさびしいです。絶対また遊びに来ようと思っています。
(南相馬市→南陽市・50代・女性)

*生活支援相談員さんへ
生活支援相談員さんが定期訪問して下さるので心強いです。様々な相談や雑談を聞いてもらえてありがたく存じます。私たち避難者にとって重要な存在ですので、長期継続を望んでいます。いつもありがとうございます。
(福島市→米沢市・50代女性)

*家族・友人・山形県の方へ
 たくさんのみな様にしんせつにしてもらって心を元気にしてもらいました。どうもありがとうございました。
 私の話を聞いてくれた方にサンキュウです。
(南相馬市→長井市・60代・女性)

*山形県へ
 4月から福島での生活に戻ります。
 山形での本当に様々な支援に感謝しています。
 ありがとうございました!
(福島市→川西町・40代女性)

*支援してくれた人々へ
 今でも当時の現実とは思えないような光景が思い出され、特に今頃の時期になるとひどく胸騒ぎがします。
 これからも、その思いは消える事はないと感じていますが、強く生きていければ…と思っています。
(石巻市→鶴岡市・40代女性)