Q 震災前・震災時はどこで過ごしていましたか?
浪江町出身です。震災の時は、消防団員として、ぎりぎりまで避難誘導をしていました。しばらくは家族とも会えず、米沢の避難所で再会する事ができました。家とお店は津波に流され、避難中に98歳だった祖母を亡くしました。
Q お店をはじめるきっかけは何ですか?
米沢で過ごしている間は、お店をたたむことも考えていましたが、浪江町には戻れない事も当時から考えていましたし、浪江町の人達に「浪江のものを残してほしい。」と言われ、酒造りの再開を考えました。
震災から一ヶ月後、県警が捜索に浪江町に立ち入った時に、以前の取引先の農家の家族が凍死で発見されました。「すぐに救助できていれば。」という悔しい気持ちと共に、「自分が酒造りを続ける事は、震災で亡くなられた、浪江の酒造りに関わった人達の人生の意義を残すことにつながるのではないか。」と自分の中に決心がつきました。阪神大震災を経験した取引先の方に、「半年以上、『被災者』でいたら商売人としては終わりだぞ。」とアドバイスされた事も、自分の中に残っていたと思います。
当時は酒蔵を再開する場所を福島県内か、県外にするかで迷っていましたが、「場所よりも、早く再開できる場所の方が浪江の人たちへの励ましにもなるのではないか。」と考え、2011年10月に長井市で酒蔵を再開しました。
Q お店を始めてみて、どうですか?
長井市に避難している方々と市民が作ったお米『さわのはな』で『甦る』というお酒を造り、売り上げの一部を地元の支援団体や、学校などに寄付しています。
また、長井市の「レインボープラン」に影響を受け、自分の酒造りも循環するような仕組みをつくりたいと思い、自分の酒蔵で出た酒粕を浪江町で行われているお米の試験栽培の肥料に使ってもらう計画をしたり、長井市内で酒粕入りお菓子などにも利用してもらっています。浪江町の中学生が浪江町の家庭料理を学ぶ機会にも関わり、浪江町の食文化を残すことにも貢献できたらと考えています。
長井市は全国でも有数の水質の良さを誇れる場所。在来種も多く残っています。長井市の友人の家で在来種『花作大根』の紅花漬けがお茶うけで出された時、この土地の人が残してきたこの土地ならではの歴史を感じました。浪江町の文化を繋ぐ難しさを実感している分、自分もこの土地の水を生かし、長井市のものを次の世代に残していく事に貢献したい、という気持ちが生まれてきました。
今年は、別棟に蔵座敷を整備して、全国から酒蔵に来る人たちへ「酒」「蔵」「食」の三つのキーワードで雪国の良さや長井市の食文化を伝える場所にしたいと考えています。
Q 避難している方へのメッセージ
自分の地区では、一割の人が亡くなりました。たまたま自分の家族は助かることができ、辛いながらも前を向いてきました。できる人が、できる分だけ、地道に未来志向で時間を積み重ねてゆくことが大切だと思っています。
自分はこれまでたくさんの人に助けてもらってきました。色んな人に支援をしてもらってきた分、助けてくれた人や社会に、何かしら恩返しをしていきたいと思っています。
株式会社 鈴木酒造店 長井蔵
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