フリーペーパー うぇるかむ

「うぇるかむ」は、東日本大震災により、山形県へ多数の方が避難されたことをきっかけに、2011年8月に創刊されました。詳しくはこちらをご覧ください
それぞれの声
避難や進学。それぞれの状況と向き合う中で、福島のことを発信し始めた若者たち。
今回は311ボランティアミーティングで講演した2人の大学生に、これから伝えていきたいことをインタビューしました。
安達 和叶さん(19才)
☆これまでの経緯・山形に来て・・・
 
 福島県伊達市出身です。震災当時は中学校3年生、福島の希望校に進学しましたが、家族会議を重ねて、5月に山形に避難、転校しました。
  福島では「国や学校、メディアが大丈夫だと言っているんだから大丈夫でしょう」と、学校も周りも何も言わない環境に違和感がありました。避難することに罪を覚えるような空気感があったのを覚えています。当時、避難したことは友達一人にしか言えませんでした。
 避難したくてもできない人がいる中、避難できたことは良かったかもしれないけど、『避難』や『移住』という一つの選択肢のために、たくさんの大事なものを手放さなきゃいけなかった事がやっぱり辛かったです。「自分だけが避難した」という罪悪感はずっとあります。
 避難しても家族の中で放射能に対する感覚が違うこともあり、意識を一つにする難しさを感じます。
☆これから伝えていきたいこと
 311ボランティアミーティングで私が避難した経緯や大変だったこと、良かった事、山形の人にも原発事故を自分事として受け止めてほしい、という内容を話しました。
 福島では「皆わかっているけど口に出さない」という空気が流れていますが、山形の人は福島の隣県なのに原発事故や避難、放射能について本当に何も知らない人が多くて、やっぱりもっと知ってほしいと思いました。
 「どう表現すると伝わるか」という点で言葉を選びましたが、「話を聞いて新しい気づきがありました」「自分事として考えるきっかけになった」という感想があって、話して良かったと思います。
 放射能については山形も無関係ではないと思います。私が自分の経験や考えを発信することで「もっと原発や放射能について知りたい、知ったほうがいい」と思ってくれる人が増えてほしいと思います。
八島 千尋さん(21才)
☆これまでの経緯・山形に来て・・・
 
 福島県伊達郡国見町出身です。震災後京都の大学に入学しましたが、震災のショックから退学し、その後宮城県南三陸町のボランティア活動や福島では子ども支援の仕事に関わりました。
 色んな活動を通して福島の事を発信したい気持ちが次第に大きくなり、これまで全国40ヵ所以上の大学や団体で講演活動を行ってきました。現在は東北芸術工科大学に在学し、講演活動を続けています。12月には山形市内で開催された311ボランティアミーティングで講演を行いました。講演では毎回、「当事者の声が聞けて良かった。」という感想を頂きます。
 福島では放射能が生活の中に入り込んでいて、食べ物を見るたび、空気を吸うたびに放射能の事を考えていましたが、山形ではその煩わしさから解放され、自然を見て素直に「あぁ、きれいだな」と感じたり、触れ合えることが本当に嬉しいです。
☆これから伝えていきたいこと
 全ての人に、ひとそれぞれの決断を、尊重し合ってほしい。事故によって福島から避難した選択や、人間関係を考えて福島に残る選択、人によって生活に必要なものは違うから、正解は一つではないと思う。放射能による人への影響はもちろんあるかもしれないけど、放射能によって人間関係が崩れ、人が疲弊していくことも多いと思います。お互いを尊重し合うことで、原発の問題を前向きに考える人たちを増やしていくことができるのではないかと思います。
 若い人には政治に少しでも興味を持ってほしい。結果や答えを出すことよりも、「考え始める」ことが本当は大事なことだと思う。これをきっかけに自分たちはどう考え、どう行動していくのか。私はその「考えてみる」きっかけづくりをしていきたい。
 未来で同じことは起きてほしくない。繰り返さないためにも、少しでもその可能性が減ることに希望を見出して活動していきたいと思います。
★311ボラMeeting は★
 
 震災から4年目のいま、被災地や 被災者の現状を見直し、“これから”を考えるきっかけ作りを目的として、女性3人で立ち上げた団体です。 
 26年度は月に一度、被災当事者の方の体験や、支援を行う方の話を聞き 、参加者全員で震災や原発事故について考える「ボランティアミーティング」を開催しています。
 ニュースや新聞ではなく、被災を経験した人と山形の人が直接想いを伝え合い、市民による“これから”を考える機会にしていきたいと思います。