フリーペーパー うぇるかむ

「うぇるかむ」は、東日本大震災により、山形県へ多数の方が避難されたことをきっかけに、2011年8月に創刊されました。詳しくはこちらをご覧ください
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 こちらで知り合って、一緒に頑張って来たお友達が、徐々に福島へ戻り、とり残されるようで寂しいです。みんなの存在、本当にありがたいと実感しています。
(福島市→高畠町 30代女性)
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 避難してきた時は、1人だった子供が来年には3人に。育児はストレスがたまり大変だけど、山形で知り合った方と交流を持ち、楽しく過ごしていきたいです。
(福島市→米沢市 30代女性)
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 避難してきた当初は不安よりも、見知らぬ土地を楽しんでやろう!!とポジティブに過ごせていましたが、日を追うごと、年を追うごとにやっぱり古里に帰りたい・・そんな気持ちが強くなってます。
(相馬市→米沢市 30代女性)
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 米沢へ来て約3.5年!!地元の方との交流も活発に行っており、少しは気も晴れてます。
(渡利町→米沢市 60代男性)
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 福島の家が3年半たった今、除染がはじまりました。終ったら、帰らなくてはいけないのかな・・・。まだまだ、山形で頑張りたいんだけどな・・・。
(福島市→米沢市 40代女性)
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息子が中学校入学とともに避難して来ました。来年は高校受験の年。息子の希望で酒田市の高校へ志願する事となりました。まだまだ山形で頑張ります!!
(国見町→酒田市 40代女性)
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 震災時は福島市にいました。その後、南陽市へ自主避難。思いきり、深呼吸が出来て、洗濯物を気にせず干せる事に感謝。でも、知り合いがいない事に、心細くなった事もありました。
 アパートでは、同じ福島市からの親子や隣の方々が優しくして下さり、毎週月曜日の集いでは福島の方々ばかりで、ほっとしました。
 また市役所でお仕事をさせて頂き、皆さんを迎える側としてイベントをしたりして、年齢を関係なく友達になれた事が嬉しかったです。市役所や長寿センターの職員の方々にもとても良くして頂き、心癒やされ楽しい時間でした。
 友達も沢山出来て、これから…という時に主人の転勤で今年8月に小国町へ。
今は、子育て支援センターで保育士として働かせて頂いています。皆さん、明るく楽しい方々で慣れない私を温かく見守ってくれています。
 何と!山伏修行では『うぇるかむ』の方と出会い。人との出会いが私達の人生を豊かにしてくれました。出会った皆さんに感謝です。
(福島市→南陽市→小国町 40代女性)
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