フリーペーパー うぇるかむ

「うぇるかむ」は、東日本大震災により、山形県へ多数の方が避難されたことをきっかけに、2011年8月に創刊されました。詳しくはこちらをご覧ください
それぞれの声
■悩んでいます(1)
Q1 今悩んでいる一番の理由は何ですか?
 以前は浪江町に住んでいました。夫が亡くなって(平成15年)から富岡町に引っ越し、1年数か月後に震災が起こりました。富岡町には帰れないのであきらめています。
 息子は郡山に住んでいて、いわき市で仕事をしています。いわき市は住みたいけど、人がいっぱいで住めません。
南相馬市の原町に住もうかと思って何度か通いましたが、なかなか住める環境が見つかりません。
 息子の近くにいようかと、復興住宅には申し込みましたが抽選で落ちました。
 周りが「家を買った」とかの話が出ると、気をもんでしまいます。
Q2 今後決断をしていく中で、一番大切にしたいことは何ですか?
 震災前までは持ち家だったので、今のアパート暮らしはやっぱり慣れずにいます。
一人暮らしでも、できたら庭いじりができて、山が望める家に住みたいです。
 夫も亡くなっているし、息子も一緒に住んでいないので、自分一人で暮らしていくのにできたら早く、落ち着ける家に住みたいと思っています。
■悩んでいます(1)
Q1 今悩んでいる一番の理由は何ですか?
 夫は福島市で仕事をしています。はじめは移住するつもりで山形に来ましたが、夫の仕事が変えられず、息子の小学校入学に合わせて、来年度に帰ることを決めました。放射能への不安は消えないし、帰ったとしても、生活が自由でなくなる面が多いので、帰ったとしてもそれが一番良いことなのか、未だに悩みますが、息子の転校の可能性を考えると、帰ったほうがいいのかなと思っています。
Q2 今後決断をしていく中で、一番大切にしたいことは何ですか?
 息子の心と体の健康、どちらも大事です。お父さんが恋しい息子の気持ちも、健康も大事にしたい。
 春に福島に帰った人が「避難生活は放射能に向き合うための準備期間をくれた」と話していました。帰ったらどう健康を守っていけるか、帰るまでの時間に情報収集と気持ちの整理をして、帰還後も食べ物や環境に気を付けて生活できるようにしていきたいと思います。
■移住しました
Q1 移住を決めたきっかけは何ですか?
 津波で家は流されたので、同じ場所には住めないことが分かっていました。
息子は当初から帰るつもりはないと言っていました。
 長女の嫁ぎ先であった山形に来たことが、移住の一番大きな理由です。
 避難元の町は29年に帰還を目指していると言っていますが、除染や住宅支援など街の再建はまだまだ先に思えます。リフォームすれば住める家を持っている人も、最近は帰還しない選択の人も増えてきたように感じます。
Q2 移住して「良かったこと」「大変なこと」はありますか?
●良かったこと
 一番良かった事はやっぱり、(同居していた)長男の孫を放射能から遠ざけることができたことです。
 震災前、山形に住んでいた長女の子どもとは1年に1回会えるかという感じでしたが、山形に避難して、いつでも会えるようになったことも良かったです。
 そして山形は果物とお米が美味しいです。
●大変なこと
 移住先では新鮮な美味しい魚がなかなか手に入らないこと。昔は白魚のかき揚げが好物でした。
 雪深いことも心配の一つです。雪かきがまだなかなか慣れないのと、冬は寒くて雪がある分、スタッドレスタイヤや灯油など出費がかさむことが心配です。
Q3 これから帰還・移住を決断する人たちへ、メッセージをお願いします。
 震災の当初は、支援があって助かったことはたくさんありましたが、そろそろ自分の中の「避難民」という枠を外して、自分で生活を決めていくことが大切だと感じています。
 希望の仕事がないことや、個人の差はあるかもしれないけど、そろそろ、自立していける人が増えてくれることを願っています。
★絵葉書は富岡町の方の作品です。