■悩んでいます(1)
Q1 今悩んでいる一番の理由は何ですか?
幼稚園生、高校生と大学生の子どもがいます。
両親は「もう帰ってきなさい」と言っていますが、下の子は福島に帰ったら外で遊べなくなるのでできればこっちにいたいと言っています。
夫が福島で仕事をしていて、できれば夫には山形に来てもらいずっと山形にいたいと思っていますが、山形では仕事がなかなか見つかりません。年を考えると転職ができるのかが問題です。次女が高校を卒業したあとの進路も視野に入れながら、これから住む先を考えていきたいと思います。
Q2 今後決断をしていく中で、一番大切にしたいことは何ですか?
子どもの安全が一番です。のびのびと、子どもらしく育ってくれる環境で暮らしたいです。
■悩んでいます(1)
Q1 今悩んでいる一番の理由は何ですか?
夫は福島市で仕事をしています。はじめは移住するつもりで山形に来ましたが、夫の仕事が変えられず、息子の小学校入学に合わせて、来年度に帰ることを決めました。放射能への不安は消えないし、帰ったとしても、生活が自由でなくなる面が多いので、帰ったとしてもそれが一番良いことなのか、未だに悩みますが、息子の転校の可能性を考えると、帰ったほうがいいのかなと思っています。
Q2 今後決断をしていく中で、一番大切にしたいことは何ですか?
息子の心と体の健康、どちらも大事です。お父さんが恋しい息子の気持ちも、健康も大事にしたい。
春に福島に帰った人が「避難生活は放射能に向き合うための準備期間をくれた」と話していました。帰ったらどう健康を守っていけるか、帰るまでの時間に情報収集と気持ちの整理をして、帰還後も食べ物や環境に気を付けて生活できるようにしていきたいと思います。
■移住しました
Q1 移住を決めたきっかけは何ですか?
当初夫や、夫の両親には地元に帰ってきてほしいと言われていました。
3番目の子を妊娠した時、借り上げ住宅が延長になる前、どうせこのまま家賃がかかっていくなら家を買ったほうがいいのかなと思い始め、夫婦で話し合った結果、離乳食や育児を考えてやっぱり山形に残るほうが良いという決断になり、増税前でもあったので、早目に家を買うことを決めました。
夫の両親は子どもをとてもかわいがってくれていたので、移住の話をしたら泣かれてしまったけど、今は「夫婦で決めたことなら、応援するよ」と言ってくれています。実家の両親も、「少し寂しいけど」とはいうものの、賛成してくれています。
借り上げ住宅が延長になり「こんなに焦って決めることはなかったかな」とも思いましたが、ずっと山形にいるのであれば、家族も増えていく中で狭いアパートにいるより、移住を決めて良かったと思います。
夫はまだ福島で働いており、近いうちに山形に転職して来てもらう予定です。
夫が山形に転職でき次第、家族で暮らすことができますが、なかなかまだいい仕事が見つかっていません。
Q2 移住して「良かったこと」「大変なこと」はありますか?
●良かったこと
「次はどこに住めばいいの?」と思い悩む事がなくなって、気持ちが楽になりました。
●大変なこと
地元の人からは「いつ帰ってくるの?」と言われるし、未だに本当に仲のいい人にしかまだ話せていません。
Q3 これから帰還・移住を決断する人たちへ、メッセージをお願いします。
戻るにしても、残るにしても、家族でよく話し合って、納得のいく様に、後悔のない様に答えを出していくしかないと思います。
■帰還しました
Q1 帰還を決めたきっかけは何ですか?
一番の理由は下の子が極端に情緒不安定になったことです。
父親が避難元に残って仕事を続けていたので、不定期でしか会うことできませんでした。
避難当初1歳4か月で避難した子が1年経ってやっと話せるようになったころ「なんでパパはいないの。ぼくのことが嫌いなの」と言うようになりました。夜も眠れなかったり、寝言で父親を呼ぶようになり、上の子が気にかけて「大丈夫だよ、ママと僕がいるから」と言うようになりました。
それをきっかけに私が思っていた「避難」と、子どもが置かれている「避難」の状況が違っているのかなと思うようになりました。
私にとっての「避難」は、子どもをとにかく福島から遠くに離したかった。贅沢な暮らしはなくとも、ご飯があり、家があり、教育を受けることが他の土地でできるならいいと思っていました。子どもに「生きていてほしい、健康でいてほしい」というただそれだけでした。
でも子どもにとっての受け取り方は違っていたのかもしれません。
まだ小さい下の子は避難している理由が分からない。上の子に気を使わせて、下の子に我慢を強いながら避難し続けることが果たして良いのか、疑問を感じました。そして子どもの一日一日の充実度を考えて、帰還を決断しました。
Q2 帰還して「良かったこと」「大変なこと」はありますか?
●良かったこと
子どもの気持ちが落ち着きました。
あと、事故から4年目でも、国内外でまだ保養、移住、国内留学などをサポートしてくれる人がいます。本当にありがたいと思います。
●大変なこと
放射能がある環境で(「ない」ことになっている中で)暮らさなきゃいけない事。
幼稚園、小学校の行事(給食、水泳、マラソンなど)集団行動をせざるを得ない場合、生徒数が少ないため、不参加になるととても目立ってしまいます。
Q3 まだ悩む人へ、これから決意する人へのメッセージをお願いします。
悩みを苦しいと思うか、チャンスと思うかは人それぞれ。
原発事故が起こって、私は家族の事を深く考えるきっかけになりました。
人にはそれぞれ「期日」があります。お母さんの限界、子どもの限界、お父さんの限界。何かが限界を迎えたとき、人それぞれの「期日」が来る。「やっぱり今は答えが出ない」という時もあると思う。
中途半端に考えれば愚痴が出るけど、一生懸命考えれば考えるほど、知恵が出る。思い切り、悩む事はいい事だと思う。一日一日で状況は変わると思うし、色んな事を悩んでいく中で、小さな可能性をかけてみるもいいと思うし、自分がその時できうる最善の策で一生懸命考えた末に出した決断なら、きっと自分にとってはいいものが選択できるんじゃないかと思います。