3月13日、浪江中学校卒業式。卒業生は、震災時小学校6年生で卒業式を前に、原発事故にて全国へ散り散りとなってしまった。新学期も近く、国の充分な指針も無い時期で、私自身もそうだったが、多くの保護者と子どもたちは、不安定で流動的な状況のなか考えに考え、他の学校への転校を余儀なくされた。
そうしたなか、浪江町の小学校・中学校が、二本松市内の廃校となった学校を利用し、二学期の始業に合わせ、浪江小と浪江中を位置変更し再開することとなった。再開時、この卒業生は10名からスタート。少しずつ級友が増え卒業時は23名となった。通学はバスにて片道1~2時間掛かり、実に多くの時間を、多くの想いを共有しながら過ごしたに違いない。県内でもマンモス校と知られた学校が、40名に満たない小規模校となり、野外での活動もままならず部活動も制限された。新設のバドミントン部と特設の陸上部しかないのだが、いずれも県大会に出場できたのは彼らの努力の結晶であり、彼らが新たに作った歴史だ。かつての同級生達もそれぞれの環境で中学校生活を全うし、同じタイミングで卒業式の舞台に立っていることを思うと、子を持つ同じ
親の立場としてつい涙が流れた。
よくこんな話を耳にする。「避難先の入学式や卒業式に参加した保護者が、知り合いも無く式が終わると学校をすぐ後にする」という。義務教育の過程のなかで地域コミニティーが果たす役割は大きい。卒業生の別れの言葉は、全ての人たちに思いやりと感謝の気持ち、そして希望に満ち、会場の人々に響き万感の思いが溢れ涙を誘った。卒業生たちを送り出すための、自然と湧いた万雷の拍手は鳴り止まず、式の余韻に浸りながら、彼らの夢への歩みが確たるものになるよう願った。
鈴木酒造店長井蔵 鈴木 大介