フリーペーパー うぇるかむ

「うぇるかむ」は、東日本大震災により、山形県へ多数の方が避難されたことをきっかけに、2011年8月に創刊されました。詳しくはこちらをご覧ください

● 妹が震災後、長野県松本市に母子避難しました。私は実家を継いでいるので、両親から「家のことは心配しなくて大丈夫だから」と言われたけど、ここに残る決心をしました。妹夫婦はまだ年に2、3回しか会えない生活が続いています。このまま何年、離れ離れの生活を続けるのか?旦那さんが移住するべきか?まだ答えが出せず、悩んでいるようです。(二本松市在住)
● 帰福したばかりの頃は、放射能の危機感からいろいろ制限してたけど、最近、ゆるくなっていることに気付きました(汗)やっぱり自分の意志を確認するためにも、お話会などに参加して同じ思いのお母さん達とのお話は必要ですね。(郡山市在住)
● 福島市から避難してあっという間に3年が経ち、子ども達も米沢の方言を話し、地元になじんでいます。避難先に慣れてしまい、帰る事情ができた時に子ども達の悲しい顔はもう見たくありません。福島市に戻るか米沢にこのまま暮らそうか考え中です…。(福島市→米沢市)
● 今まで近くにいた人達が誰一人いないので、「自分に何かあった時に娘は…」と毎日不安を抱えながら生活しています。そんな中でも娘が外で元気に遊んでいる姿を見て日々成長しているなと嬉しく思います。(南相馬市→山形市)