フリーペーパー うぇるかむ

「うぇるかむ」は、東日本大震災により、山形県へ多数の方が避難されたことをきっかけに、2011年8月に創刊されました。詳しくはこちらをご覧ください
スペシャルインタビュー
小国町立叶水中学校3年 野崎 さよ子さん

9月に開催された第60回山形県少年の主張大会で最優秀賞に輝き、11月に行われた第43回少年の主張全国大会に山形県代表として出場しました。福島県飯館村から避難してきて、現在は小国町に移住した野崎さよ子さんにお話を伺いました。

Q.避難した時の様子を教えてください
当時は4歳で詳しいことは覚えていませんが、保育園からの帰りの送迎バスの中にいて、途中でバスが急に止まりました。少しして、バスは動き出しましたが、今思えばその時が揺れた瞬間だったと思います。このことは、今でも鮮明に覚えています。
初め、長井市の金鐘寺さんに半年間くらいお世話になりました。そこでの生活は、避難している別な家族の子供たちと毎日走り回り、とても楽しかったです。住職さんもとても優しくて親切にしてくれました。その後、岐阜県高山市に避難しました。高山市には短い期間しか滞在していなかったのですが、ここでも毎日が楽しかったのを覚えています。
その後に、また山形県に来ました。周りの方からはもっと西の方に避難した方がいいと言われたそうですが、父が福島県で仕事をしていたので、山形県に留まることにしたと聞いています。

Q.小国町での様子を教えてください
小国町では、保小中高一貫教育を進めています。叶水小中学校は中学生が全体で8人、学年は2人、小中合わせても 人位と少ないけれど、昼休みには小学生とも一緒に遊ぶこともできて、みんなが仲良しです。休みの日には、友人のお父さんに連れられて、登山に行ったりもしています。私は登山をするのは初めてでしたが、面白くて毎回連れて行ってもらえるのを楽しみにしています。
いろんな人に「小国町は雪が多くて大変でしょう」と言われるけれども、大人たちは雪かきなどで大変そうだけど、私たち子どもは雪遊びができるので冬もとても楽しいです。

Q.少年の主張に出場することになってどうでしたか
震災の話というと私の中で今までは、「また高山に行きたいなぁ」とか「友達に会いたいなぁ」という程度でしたが、今回は母から話を聞いて書きました。母は「震災を辛い思い出にするより、楽しい思い出にして、大きくなった時に、ちゃんと向き合える方が大切だと思った」と話してくれました。そのおかげで私は「東日本大震災」に対して、暗い、重い、つらいというようなイメージは全くなく、どこに行っても「楽しかった」という思いでいられるのだと気づきました。このことは両親にとても感謝しています。
大会への出場が決まってからは、国語の先生に指導を受けながら、教室や体育館で毎日何回も何回も練習をしました。それでも、県大会の時は心臓がドキドキで止まりませんでした。本番前に先生から「楽しんでいきましょう」と声をかけてもらい、ドキドキだったけど楽しもうと思い発表をしました。発表が終わったときは、間違わないで言えたのでとても嬉しかったです。
今は、高校受験に向かって毎日勉強を頑張っています。
小国町立叶水中学校3年 野崎 さよ子さん