フリーペーパー うぇるかむ

「うぇるかむ」は、東日本大震災により、山形県へ多数の方が避難されたことをきっかけに、2011年8月に創刊されました。詳しくはこちらをご覧ください
南陽市社会福祉協議会 生活支援相談員 安達 智子さん

Q相談員になったきっかけを教えてください

 東日本大震災発災後、「何かボランティアをしたい」「力になりたい」と考えていました。ハローワークで相談員募集を見たときは「これだ」と思いました。平成24年2月に南陽市社会福祉協議に入職し、4月から相談員としての活動を始めました。当初は訪問対象世帯が47世帯しかありませんでしたが、地図を片手に家を探し回りました。ただ地図が古くて畑の真ん中に住所があることも多く、探し当てるのがとても大変でした。一緒に訪問していた相談員が避難者の方で、集合住宅や子供の学校関係で顔を知っている人が多く、とても助かりました。

Q行政との連携について教えてください

 市との関係は良好だと感じています。訪問対象外世帯からの相談が県を通じ増えてきて、現・総合防災課に相談したところ情報の共有をすることになり、全世帯への訪問が可能になりました。問題のあるケースが増えてきた時、訪問対象外世帯が多かったので情報の共有は大切だと感じました。市との連携はとても難しいと言われていますが、南陽市では東日本大震災の際、避難所を設置、運営した経緯があり、「交流のひろば」は当初、市が主催でした。そして開催場所を社協が入っている健康長寿センターにしてくれたのは、相談員が参加しやすいようにとの配慮で、現在は市と共催で開催しています。また、イベントにも参加してくれました。その結果、市では避難者の顔が見える関係になり支援しやすく、避難者も市の担当者と面識があり、相談に行きやすいという声が聞こえてくるようになってきました。

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Q南陽市の水害について教えてください

 平成25年26年7月は、2年続けて水害に遭い、災害時は健康長寿センターにいましたが、川の近くに住んでいる世帯や高齢者世帯には電話で安否の確認を行いました。そんな中、ボランティアとして避難者も手伝いに来てくれたのはとても嬉しく思いました。また、浪江町から寒河江市に避難していた方がボランティアに参加してくれ、南陽市に避難している浪江の方に連絡を取り交流を図ったこともありました。高齢のおばあちゃんで地元の話ができると、とても喜んでいました。
 現場が混乱していて本当に大変な中、東日本大震災で被害にあった方が「東日本大震災の時にお世話になったので」という想いから多くの方が支援に駆けつけてくれたことに、とても感動し感謝の気持ちでいっぱいになったのを忘れることが出来ません。

Q今感じていることを教えてください

 皆さんが抱えている悩みは年を追うごとに複雑化していますが、相談をしてくれる人が少しずつ増えたことは、絆ができたと感じています。専門的な資格も無く、心無い言葉をかけてしまうのではという心配が常にありました。それは現在も感じていて、大きな事案が出た時など、私が相談を受けて良いのかという思いもありました。しかし傾聴し、各機関とのパイプ役になることで、5年後 年後、南陽市に避難して良かったと思ってもらえる活動をしていきたいと思います。

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