フリーペーパー うぇるかむ

「うぇるかむ」は、東日本大震災により、山形県へ多数の方が避難されたことをきっかけに、2011年8月に創刊されました。詳しくはこちらをご覧ください
ライター・エディター 菅野 幸子さん
Q 震災時の様子を教えてください。

 震災当時は福島県伊達郡に家族と住んでいました。地震が起きたときは福島市にいて、自宅に戻るためすぐに福島駅に向かいましたが、交通機関はすべてストップ。福島駅前には帰宅できない人達があふれ、街中がパニック状態でした。雪の中で何時間も立ち尽くし、家族とすぐに連絡がつかず不安でいっぱいでした。夜には何とか自宅に戻ることができ、子どもの顔を見た時はホッとして小さな体を抱きしめました。

Q 山形市に避難した経緯を教えて下さい。

 福島第一原発爆発後は自宅にこもっていましたが、目に見えない放射能に恐怖を感じ、1週間後に実家がある埼玉県に息子と2人で避難することを決心。高速道路は不通だったため国道を無我夢中で走り続けました。しばらく埼玉県で避難生活を送っていましたが、福島県にいる夫が行き来しやすい避難先を探していました。そんな時、山形市で避難者支援をしてくださっていたご夫婦が、福島県からの避難ママ向けにメーリングリストを作ってさまざまな情報を流してくれたのです。そこから避難者同士のつながりができて、支援者の方の励ましと情報を頼りに縁もゆかりもない山形に避難をしたのが、2011年の8月でした。3歳の子どもと2人で、知らない土地に避難をするのは不安でいっぱいでしたが、山形の支援者の方がとても親身にサポートしてくださったおかげで、どうにか暮らすことができました。温かい支援の手を差し伸べてくださったこと、気持ちに寄り添ってくれたことに今でも感謝しています。

Q 山形市ではどのように過ごしていましたか。

 山形は公園や自然がたくさんあり、子育て環境が整っているので、いろいろな場所に子どもを連れて行きました。自然の中で思いっきり遊ばせてあげることができ、のびのび子育てすることができたので、山形に来て本当に良かったと思っています。おかげさまで、元気にたくましく成長し、現在は中学校で部活動を頑張っています。
 母子避難だったこともあり、子どもが小さいうちは、思うように働くことができませんでしたが、子どもの成長とともに少しずつ仕事と子育ての両立もできるようになりました。現在は、これまで培ってきた企画・編集・ライティングのスキルを活かして、フリーのライターとして活動しています。

避難者へのメッセージ

 来年で震災から10年が過ぎようとしています。〝避難者〟と呼ばれたり、そういう目で見られることに疲れ、避難していることをあえて忘れようとしていた時期もありました。ただ普通の生活がしたいという気持ちが強くなり、避難者という立場から逃げたかったのかもしれません。
 でも、東日本大震災が起きたことも、避難したことも事実で、その延長線上に今の自分がいることは確かです。過去の選択に正解も不正解もなく、大事なのは自分が選択した道で〝これからどう生きていくか〟だと思います。自分が望む未来を創るために、〝今〟を悔いなく生きるのみです!

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