石巻市渡波地区で被災し、山形市内で避難生活を続けていたS夫妻が、自宅を修理して1年5カ月ぶりに戻りました。
発災時は自宅近くで津波に遭遇し、胸まで水中に浸かったというSさん。偶然にも消防団員に救助され、石巻市内の避難所で一週間ほど生活したそうです。
家族が山形市内の病院に移送されることになり、付き添うために山形に避難。山形県立体育館にて、閉所まで過ごしました。体育館では、不自由の中でも落ち着いた雰囲気で生活していました。
その後、山形市立総合スポーツセンターの避難所で過ごし、借上げ住宅に引っ越して山形での生活を続けていました。そしてやっと、石巻市の自宅に戻ることができるようになったのです。
引っ越しの時、お手伝いに行きました。その時、S夫妻が話してくれた、「山形の避難所に来て、暖かい弁当、汁物には涙が止まらなかった。山形を忘れる事はできない。」という言葉が忘れられません。
ご家族の方は現在、石巻市で入院生活を続けていますが、前向きに未来を見つめているように思えました。(H)
(写真は引っ越し時の清掃風景)
フリーペーパー うぇるかむ
「うぇるかむ」は、東日本大震災により、山形県へ多数の方が避難されたことをきっかけに、2011年8月に創刊されました。詳しくはこちらをご覧ください。