[特集]あれから8年 東日本大震災を語る(第1回)
「大震災、反省と教訓」
[寄稿]

ウェザーハート災害福祉事務所 千川原 公彦

北海道有珠山噴火(2000年)より災害支援活動を開始。以降、震災・水害・竜巻等26の被災地に関与、主に避難所や災害ボランティアの関連業務に従事しています。大震災の際は災害派遣で塩釜市を担当。現在は、西日本豪雨(愛媛県)の復興支援に携わっています。
(左から2人目が千川原公彦さん)

 8年前の3月を振り返ってみて。
 2011年3月11日。山形県庁の10階にある会議室で大きな揺れを体験しました。背筋が凍る思いをしながら、会議室におられた皆さんを避難誘導した記憶があります。そして、県庁に設置された災害ボランティア支援本部での寝泊まりが始まり、今日は山形県内に設置される避難所のサポートを、そして明日は津波被害に遭った被災地への支援活動を。といったように、一ボランティアという立場ではありましたが走り回る日々が続きました。
 常に私の頭の中に浮かんでいたのは、「被災地の復興は一体どのような形になるのだろう?被災された住民の皆さんの未来はどうなるのだろう?」。確たるイメージもつかめないまま何日も何ヶ月も過ぎていきました。
 おそらくは、支援者である国や議員の皆さんも全く同じだったのではないでしょうか?そういった立場の皆さんとお会いする機会が私も多くありましたが、「復旧と復興の違い」が分からないかたも多かったように思います。まだ食料不足の被災地があるにも関わらず、「津波エリアを公園にしよう」「震災を忘れないようにモニュメントを建ててはどうか?」。そういった声も多々聞こえてきました。
 そういった意味では、被災地支援にあたる人たちも混乱状態。「想定外」という言葉は使いたくはありませんが、事実そのような状況でした。それゆえに、被災者の皆さんへの支援が遅れたり、地域毎の支援の格差が生じたりもしたはずです。「私を含めて、支援する側の知識を高め、能力を上げなくてはならない」。そう感じた2011年の3月でした。

 そして、あれから8年。
 西日本豪雨など、全国で大きな災害が発生し続けています。大震災後には福島や宮城、山形でも水害がありましたし、先日は庄内沖を震源とする震災もありました。一方で、行政や議員の皆さん、そしてNPOやボランティアの皆さんの中には高い専門性を持った「防災や被災地支援のスペシャリスト」が存在するようになりました。
 少しでも高齢者が生活しやすいような避難所づくりを。被害が出た家には質の高い応急措置を。復興期に孤独死がでないような取り組みを。大震災の時には無かった支援や制度が、いま全国の被災地では展開されています。根底にあるのは「災害があっても、普段の暮らしができる幸せを取り戻そう。大震災の教訓を生かそう」。そういった考えが浸透しつつあります。
 とは言え、災害が起きるたびに課題は噴出します。日本は災害大国ではあるものの「防災大国、復旧復興大国」にはまだなっていません。ですが、災害が起きるたびに一つずつ新しい制度が作られています。その制度の多くは、私たちの暮らしには直結しない物事ではありますが、大震災をきっかけに、防災や復旧復興への取り組みは一歩ずつ進んでいる状況だといえます。

 
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